私が「那須」にワイナリーを造る理由
理由は、大きく言えば2つです。
1つは、
私が生きた証をつくるため。
もう1つは、娘(現在は高校生)に
「従来の那須には無い、那須らしい里山」の魅力を伝えるためです。
私(室井秀貴/661グループ現社長)は那須で生れ、育ち、一生を終えるつもりです。
そして、人生の最終章をワイナリーに決めた背景には、山あり谷ありの半生があります。
ワイナリーのオープン予定地は、
「ミセスポージー(Mrs.Posie's)」を起点に広がる
「661スプリングス(661SPRINGS)」の小高い雑木林。
この
「ミセスポージー」こそが、私にとっては「起源」であり「鍛錬の場」なのです。
では、少々長くなりますが私の半生、テンポよく参りますのでどうかお付き合いください。
開業は「お花畑」(現ミセスポージー/Mrs.Posie's)
「お花畑」は、「花のある暮らし」をテーマにしたファンシー雑貨&レストラン。
アメリカの実業家「マーサ・スチュワート(Martha Stewart)」に感化されて生まれたライフスタイルショップです。
「お花畑」は、昭和57年のゴールデンウィークに開業しました。
オープンして3日間、お客さんはゼロ。
「お客さん、来ないな・・・」
このままでは仕入れ金が底をつき、借金だけが残る────・・・
「そうなったら、もう、・・・」
首を括る覚悟をしました。
その時です。
車が、・・・。
「あっ・・・!?」
店の前の道路に飛び出し、車を奥の駐車場へと誘導しました。
車は1台、また1台・・・
お店に向かってズラリと列をなす車。
店内は瞬く間に満席となり、
「那須和牛ステーキランチ」のオーダーが相次ぎました。
悲痛な溜息は、いつの間にか嬉しい悲鳴に変わっていました。
この盛況ぶりは一体、どうして?・・・
後日、近隣のテーマパークで駐車場が満車になったため、近くにあった当店の駐車場に流れてきたのだと知りました。
・・・が、きっかけはどうあれ、私は救われたのです。
「お客様は神様だ!」
と、そう思わずにはいられませんでした。
到来!「お花畑」の黄金時代
「お花畑」は、ガーデニングやバラ園などの演出を駆使したイングリッシュガーデンに人気が集まりました。
平成10年のゴールデンウィークはお客様の滞在時間も長く、大盛況。
ブルーベリーやハーブ園も造って庭を広げ、増設して
「ミセスポージー(Mrs.Posie's)」をオープンさせました。
そして同年8月には、秋の紅葉シーズンに間に合うようガーデンウエディングのチャペルも完成したのです。
「お花畑」の晴れ舞台、と言える増築リニューアルだったと思います。
しかし・・・
一夜にして、奈落の底へ
「お花畑」が晴れ舞台を迎えた翌日の8月26日。
────大雨、・・・どころではない。
未曾有の大洪水が、那須町を襲ったのです。
平成10年8月末 集中豪雨災害
町では、26日から5日間連続して130ミリメートル以上の日降水量を観測し、総降水量が1,254ミリメートルに達したため、各地で洪水、浸水、土砂災害の被害が発生し、特に27日には、1時間降水量90ミリメートル(1時~2時)、3時間降水量205ミリメートル(0時~3時)、日降水量607ミリメートルの記録的な豪雨となり、河川の氾濫、土砂崩れなどの大きな被害が発生した。
引用元:那須町防災ウェブサイト「那須町の過去の災害」
被害総額は、660億円超(参照:
那須町防災ウェブサイト)。
「お花畑」の美しい庭園は全て流され、残ったのは建物だけ。
見るも無残に、流木が折り重なっていました。
やがて冬が来て、流木の山は雪に埋もれていきました。
美しい「庭園」だった荒れ地。
今は、見たくもない、・・・
・・・・
荒れ果てたまま、放置していました。
見えた!一筋の光
4月。
例年より遅い春。
行く先々で、被害農地の復興を手伝う小中学生たちに出会います。
「そろそろ、片付けくらいやるか・・・」
ようやく、「お花畑」に足を踏み入れました。
残骸に近づいた、その時です。
流木に覆われるようにして咲いている
ブルーベリーを見つけました。
「こんなところに、いつの間に・・・」
周辺を探すと、10本ありました。
泥だらけの瓦礫の隙間に、小さな青葉が輝いていた感動は、今も鮮明に覚えています。
「あれだけの洪水だったのに・・・」
自然の治癒力、偉大さ、再生力に感動したと同時に、この那須町では堆肥や稲わらなどの有機栽培素材が安価で入手できることを知りました。
一度は諦めかけた
「お花畑」再生への道筋に、一筋の光が見えました。
復活と新境地の開拓
10本のブルーベリーを何度も株分けし、4年の歳月をかけて、ようやく事業化できる収穫量になりました。
5年目には農業者資格を得て、今の
農業生産法人を起業しました。
この事業の狙いは、自家農園のブルーベリーを加工した当社独自の商品開発です。
ワインなどの酒類、ジュース、ジャム、スパイス、お菓子など・・・
5年程かけて200種類以上の商品を開発しました。
努力が功を奏し、県内だけでなく東京からも受注できるようになりました。
再び、奈落の底へ・・・
【 2011.3.11 】
東日本大震災です。
平成23年3月に発生した、
東北地方太平洋沖地震による災害およびこれに伴う
福島第一原子力発電所事故。
被害総額は16兆円を超えるといわれています。
震災を語る機会はまた別に設けるとしますが、
栃木県も甚大な被害を受けました。
原発事故が起きた福島県と、北側で隣接する栃木県。
那須町でも、放射能の風評被害がありました。
観光客は激減し、農作物は出荷停止となりました。
高齢者が営む農家には後継ぎが帰郷せず、
耕作放棄地が急増しました。
当社も例外ではありません。
耕作の自粛を余儀なくされ、
農業は休眠するしか無くなりました。
ワイナリー構想の実現へ
震災後、特に2012年以降、政府は
「エネルギー政策の転換」を打ち出しました。
原子力発電重視のエネルギーから
再生可能エネルギーへ、という方策です。
「太陽光発電」という言葉を見聞きしたことがあるかと思います。
太陽光発電は、日本の再生可能エネルギーの1つで、一定規模以上の出力値をもつ大型施設が
「メガソーラー」と呼ばれています。
このエネルギー政策の転換に伴い、
「ミセスポージー(Mrs.Posie's)」の周辺にも次々とメガソーラーが建設されました。
太陽光発電所は「環境を壊さない」「自然に優しい」などの謳い文句とは裏腹に、雑木林や山林を切り開いて施設を建設している・・・
「自然に優しい」と言いながら、実態はどうなのでしょうか。
私は農業公社に相談を持ちかけました。
「那須岳の景観が破壊される前に、農地や耕作放棄地を借りたい。」
農業公社からの返答は、
「耕作放棄地対策として、荒地活用者に補助金を交付する制度がある。」
「その土地(ミセスポージー周辺)なら、補助金の対象になる可能性がある。」
というものでした。
私はそれを足掛かりに、もしブドウも植えられる規模なら、
ワイン醸造所(ワイナリー)を造ろう・・・と夢を広げ始めたのです。
おわりに
東日本大震災から6年が経過し、放射能の汚染度は首都圏並みに下がりました。
風評被害は未だ残るものの、私は
農業の再開を決めました。
そして平成29年の12月、那須町が
「どぶろく・ワイン特区」に認定。
当社は
耕作放棄地の運営農家に選定され、今日に至ります。